
俺が勤めているバーは、一言で言えば『居心地がいい』バーだと思う。
店内は少し照明を落としてあって、店のレイアウトも置かれているインテリアも品がいい。
少し値段が張るお酒も置いてあって、自然と客層は年配か懐具合がいい人に偏った。
知る人ぞ知る場所に店を構えているのも、その一因になっていると思う。
けど、わかりづらい場所じゃない。ただ、あえて入ろうと思わない。そんな場所。
そうして、客を選別して『居心地のいい』空間を作っているのかと思っていたのだが、オーナーによるとそうではないらしい。
オーナーはオーナーなりに、間口を広く持ち、いろんな人が気軽にお酒を楽しめる店にしたいという切なる願いがあるようだ。
ただ、育ちのいい人なので、あの人の『普通』は世間一般で言うところの『普通』とはちょっとズレている。
『普通』にバーを経営しても、そこはかとなくオーナーの品の良さが現れるので、それなりの人が気軽に入れる高級感漂うバーになってしまう。
よって、オーナーは世間一般の『普通』に近づこうと、夏の限定メニューやらハロウィンやら、バーには似つかわしくないイベントをたびたび企画する。
(それで客が減らないんだから、ある意味ものすごく支持されてるよな、この店……)
店内を見回し、漂う落ち着いた空気を肌で感じて俺はしみじみと考える。
時々手伝いに行っている兄貴の店――カフェ『サンライズ』とは方向性が違うけれど、俺にとって好きだし、大切だと思える店だった。
ただし。
今は――今日この時だけは、ちょっと違う。
普段は感じない落ち着かない感覚を新鮮に思いながらも、作っていたカクテルをグラスに入れる。
カウンターに置くと、糊の利いたシャツと質のいいベストを着たスタッフが待ち構えたようにやってきて、カクテルを注文客へと運んでいく。
まるでパリコレのモデルさながらな背筋の伸びと歩き方だといつも思う。
客は運ばれたカクテルを、早速口につけ、それから満足げに息をついた。見つめている俺の視線に気づくと、こちらを見て軽く親指を立てる。
「……どうも」
その客に軽く会釈し、俺も息をつく。
静かに、長く。
そうして、気持ちを整えて、俺はカウンターの端に座る彼女の前へと移動する。
「どう? 楽しんでる?」
俺の言葉に、彼女ははにかみながらうなずいた。その目は少し潤んでいて、頬も微かに赤い。
「……アルコール、強すぎたか?」
誘った時、バーに行き慣れていないと言っていたからアルコール度数には気をつけたつもりだったけれど、基本、この店で提供するお酒は度数が高いので、そっちの感覚に寄ってしまったかもしれない。
(気が張ると、酔い方って変わるからな……)
少しでもリラックスしてもらおうと、作ったのはカルーアミルク。
珈琲リキュールをベースとした、カフェラテのようなカクテルだ。
けど、それもよくなかったかもしれない。
(普段から珈琲に馴染みがある分、『サンライズ』の味とは違うって思うだろうし……)
考えていると、彼女が小さく呟いた。
曰く、仕事をしている俺が格好いい――と。
「そうか? ……兄貴の店でやってることと、ほとんど変わらないと思うけど」
俺の言葉に彼女は首を振る。全然違う。新鮮だと。
「それはなにより。誘った甲斐があったよ」
俺が笑うと、彼女はおずおずとまた来てもいいかと尋ねてくる。
「ダーメ。今日は特別。言っただろ? 仕事とプライベートはわけたいってさ」
断言すると、彼女は少し考え込む。そして、今日だけが特別かと、念を押すように尋ねてくる。
「そう。今日だけが特別。――まあ、来年の今日もあんたが来たいなら来店してもいいけど」
彼女はうなずき、それから、何かを迷うように視線を泳がせる。
「なに? 言いたいことがあるなら、言って。聞くよ」
彼女の視線が止まり、おずおずと俺を見上げてくる。本当かとか、なんでもかとか尋ねたそうなまなざし。
なんでそんな風に気遣うか、わかっているから苦笑いが漏れる。
(前科持ちはつらいな……)
そう自嘲して、俺は軽く咳払いをした。
「――本当になんでも聞くよ。文句も言わない。逆に今日だけしか聞かない。これも特別待遇。わかった?」
彼女はもう一度うなずき、居住まいを正して俺に向き直った。
そうして、ゆっくりとお祝いの言葉を口にする。俺が生まれた日を祝う言葉を。
「――ありがとう。祝ってくれて嬉しいよ」
心からの感謝を告げると、彼女の顔が嬉しそうにほころぶ。その顔を見て俺の顔も緩む。
生まれてきてよかった。祝ってもらえてよかった。
そう、心の底から思った。