Stellar Calendar

こっちの食べ物や飲み物は、基本的に日本のものよりもかなり大きい。平均身長や体格が大きいんだから当たり前かもしれないけど、それでも基準がブレすぎじゃないかと時々思う。
この店の珈琲も、その例に漏れなく大きかった。
会計を済ませたオレは、日本のトールサイズもびっくりのレギュラーサイズ珈琲を手に、テラス席を見回す。
と、角の方のテーブルに目当ての後ろ姿を見つけた。
「やー! すんません、お待たせしましたぁ~!」
昨日見たお笑い配信を思い出しながら、久々の日本語を叫ぶと彼――がこっちを振り返る。
「久しぶり。そのおかしなイントネーションを聞くとお前だなって安心するよ」
「Is it really that weird?(そんなに変?)」
「It's really weird(うん、すっごく)」
彼の返事を聞きながら、大きく息を吐き、向かいの席に着く。
「そんなにお笑いが好き?」
「好き。見てると明るい気持ちになる」
紙コップの蓋を開け、小さな飲み口から湯気の立つあっつあつの珈琲を火傷しないようにすする。
彼も「そう……」なんて言いながら、涼しい顔で自分の珈琲に口をつけた。
「――最近、どうしてる?」
熱い珈琲をごっくんと飲み干して、彼に向き直る。
「相変わらず、忙しいよ」
穏やかに笑う目の下にはうっすらと隈が見える。なんでもない事のように言ってのけるけど、多分、オレが想像しているよりもずっと忙しいんだろう。
「そんなに忙しいんなら、ビデオ通話でもいいのに」
「いいんだよ。たまには息抜きも必要だからね」
そう笑って、彼はもう一口、珈琲を飲む。
確かに、後ろ姿を見つけた時、肩に入ってた力がいい感じに抜けている。
(……異国の地で奮闘してると、気が抜けないもんな)
オレですら、たまに身も心も疲れてため息が止まらなくなる事があるんだから、オレよりも長くこっちにいて大きな期待を受けてる彼ならもっと大変なんだろう。
「息抜きをする口実になったのなら、なにより」
「うん、ありがとう。……そういうも忙しいんじゃないの? デートの約束、すっぽかしてこっちに来たのなら、彼女に恨まれそうだ」
「――デートじゃないって。ただドライブに誘われただけ。オレの本命は変わらず、彼女だけ。……わかってて、言うなよ」
ばつが悪くなって、上目遣いに睨みつけると、は苦笑いを浮かべた。
の心を虜にするような子は、現れなかったんだ」
「……そうなるな。あ~、いい男が年下の……しかも友人の家族に不毛な恋をしてるってのも笑えるよな」
「……大変だね」
は小さく笑って、また珈琲を飲む。
「……不器用だって思ってるのか?」
「本人が自覚しているものを、あえて指摘しようとは思わないよ」
「………………」
自ら掘った墓穴に、口の中と心の中に珈琲以上の苦いものが広がっていって、眉間に皺が寄る。
長年の付き合いかつ、頭のいい彼がオレの気持ちや行動を把握してないはずがない。
「なあ、オレってそんな軽く見える?」
「お前、女友達、多いからね。昔から恋多き男だって勘違いされてたし」
「あんなの、恋なんかじゃないのにさ」
また、大きなため息をひとつ。『恋』を知らなかった頃の自分は、その評価もそこそこ正しいと思っていたのが、また黒歴史なのでいたたまれない。
それに、あの子に抱いた恋心以上の感情を、誰と付き合っても見つけられない。
どんなに楽しく過ごせる相手でも『恋』に発展しなかったのだ。
(……あの“約束”があるうちは、多分、見つけられるわけがない)
って、昔から男女問わず親しみやすいって人気だったからね。性格と環境が足を引っ張って大変そうだなって思ってる」
「つまり?」
「ひとりの相手と緊密な距離感で向き合ってこなかっただろ? だから、いざ本命を前にすると、どう接したらいいかわからなくて、冗談で誤魔化してしまう。本心を言ったとしても……軽く聞こえてしまうのは、つらいよね」
飄々と告げられた言葉には、皮肉とか嘲りの感情はなく、ただただオレに同情していた。だからこそ、ムカついた。
「――……はぁ」
感情のままに怒鳴りつけてやろうかと思ったけど、口を開いたところで八つ当たりしてもむなしくなるだけだなと気づいて、声の代わりにため息を漏らした。
「お前とは距離感近く付き合えてると思ってるけど」
「友達としてね。でも、恋愛は別問題だろ?」
「………………」
言い返せず黙り込むオレに、彼は目を細めた。
「『30才まで独身でいられたら、その時もう一度告白して』……そう、言われたんだったよな」
オレの恋が終わらない最大の理由である彼女がくれた“約束”を口にされて、顔をあげる。
「……そう。彼女から見れば、オレが30才まで独身を貫けるなんて思ってなかったんだろうね」
「……さあ、どうかな」
訳知り顔で目を伏せて微笑むに苛立つと同時に、絵になるなとも思う。
「オレ自身も、自分が30才になるなんて遠い未来、全然想像できなかったし」
「……も俺も、もうすぐその30になるんだけどね」
彼は笑って、また珈琲を飲む。オレもあっつあつの珈琲を一口。ゆっくり喉から胃の中に流してから、湯気の混じる吐息を漂わせながら口を開いた。
「ってわけで、フラれてくるわ」
「え……?」
がびっくりしたように顔を上げる。その視線をまっすぐに受け止めてオレは続けた。
「今度、学会参加目的で日本に帰るから、今夜あたり彼女に連絡して、『帰国中泊めて♡』ってお願いするつもり」
「……そう」
は小さく笑って、また珈琲を飲む。笑っているのに、感情は伺えない。
焦っているのか、悲しんでいるのか、それとも表情通り慈しんでいるのか、まったく謎だ。
(きっと、オレと彼女が結ばれたとしても、コイツは同じ顔して笑うんだろうな)
オレは彼のこういうところが昔から嫌いだった。望めば手に入るかもしれないってのに、コイツは何も手に入らないって顔して、手を伸ばす事すら諦めてる。
「お前の代わりに様子も見てきてやる」
「……ありがとう。多分、心配かけていると思うし……助かるよ」
オレの言葉にの面持ちが、苦笑いじゃなく困ったような笑いに変わる。
すごくできるヤツなのに、彼女の事になると自信も読みも間違うのがコイツだ。
「――なあ。さらっと流してるけど、彼女のとこ、泊まっていいの? ふたりきりだよ?」
「もちろん。俺は、お前があの子の事を傷つけないって知ってるからね」
視線を上げると、彼は穏やかな面持ちでまっすぐこっちを見ていた。
「じゃなきゃ、こっちに来る時、俺の代わりを頼んだりしないよ」
「………………」
コイツの渡米が早々と決まった時、オレは「兄代わり、してやるよ」と請け負った。
けど、その時はもう、オレは彼女に恋をしていたから、そばにいるためのただの口実だ。
も、それは知った上で「よろしく」と彼女の事をオレに任せてくれた。
(信頼? それとも、オレには無理だって見抜いた上で?)
おそらく、どっちも。だからこそ、ため息が出る。
と、を取り巻く空気が変わった。
珈琲の紙コップを口元に寄せたまま、鋭いまなざしだけをオレに向ける。
「――でも、万が一、アイツが同意しないことを1つでもしたら殺すから」
長年の友情も吹き飛ぶ敵意。オレは口元を緩ませた。
(……コイツのこういうとこは、好き)
「もっちろん。結婚式にはどんなに忙しくても来てくれよ」
「ああ。お前がフラれた時は、どんな手段を使ってでも休みをもぎ取って慰めにいくよ」
オレたちは口元だけ笑いつつ、鋭い視線をぶつけ合い、そして、ふっとお互い心から笑った。

早めの夕食を終え、と別れて時計を見る。
利き手の手首にはアナログの時計をつけていて、現地時間よりも十数時間進めてあった。つまり、針が指してるのは日本時間。
(……ん、そろそろ大丈夫そうかな)
出勤でドタバタはしているだろうけど、そこを遠慮したら連絡はできない。
スマホを取り出して、指が覚えている番号にコールする。
「……あ。もしもし?」
10回コールが響かないうちに彼女が出た。もしかしたら、留守録に伝言コースも覚悟してたからラッキーだ。
「オレオレ! キミのお兄ちゃん代行、ちゃんやで~! おーはよっ」
いつもの調子で朝の挨拶を済ませて、さっさと本題に入る。
「突然だけど、今度、日本に帰るんだよね~。ちょうどオレの誕生日、またぐ形で。って、わけで、泊ーめて☆」
電話の向こうで、驚愕に息を飲む声と、突然過ぎるってわめきが聞こえてくる。
(……ねえ、オレ、今度の誕生日で30になるんだよ)
あの時は、30才の自分なんて、縁側でお茶をすするお爺ちゃん並に想像できない、遠い遠い未来だったのに。
「そう、突然決まっちゃってさー。ホテル、確保するの大変だし、お兄ちゃん代行のためにヨロシクやで~!」
ニコニコ笑う顔とは裏腹に、胸がシクシクと痛む。
でも、オレはこの痛みを受け入れなきゃならない。
『恋』するという気持ちを、初めて知ったから。
彼女に抱いた以上の『好き』を見つけ出せなかったから。
そして、最後まで諦めたくはないから――。
だから、みっともなく“約束”にしがみついて、会いに行こうと思う。
30才まで独身でいられたら、その時もう一度言ってほしいと、オレの告白を拒んだ彼女に。

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