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おいしそうな蕪が入ったので、丁寧に洗って乱切りにする。
タマネギも薄切りにして、自分用の小鍋を取りだし、たっぷり掬ったバターと共に焦げないように炒めていく。
透き通るまで火が通ったら、次は乱切りにした蕪を投入。そしてまた、丁寧に炒める。
すでに、バターとタマネギのいい匂いが漂ってきて、食欲を煽る。
(でも、まだまだ。おいしくなるのはこれから――)
軽く火が通ったら、牛乳を入れてじっくり煮込む。
「あら、今日来るの?」
背中から声がかかると、奥から母さんが出てきた。
「……うん。多分ね」
「多分って、連絡は来てないの?」
「うん、『まだ』来てない」
「そう……」
俺の答えを聞いて、母さんは頬に手を当てて息をつく。おそらく、彼女が来なかった時、準備しているこれが無駄になることを危惧しているのだろう。
「あなたの作るものだから『おいしい』んだとは思うけど、うちでは出せないのよね」
「わかっているよ」
俺が厨房に立つ『荒金』は、実家が経営する小料理屋だ。しかも、父で三代目という、わりと由緒ある店でもある。
安い店ではないが、気軽に入って料理と酒を楽しんでもらうことを目指していて、その信念が支持され、そこそこ顧客もついている。
出す料理にも酒にも妥協はない。そして、小料理屋を名乗っているのに、料亭さながらの和食に重きを置いていた。
いや、お品書きは料亭と変わりないだろう。
つまり。
今、俺が作っているようなポタージュは、普段、店では出さない。
(父さんが見たら、きっと嫌な顔をする)
それでも、最近は俺の腕と、個人的に持ち込んだ自分用の鍋で調理することでお目こぼしをもらっている。
「……でも、来るから大丈夫」
言い切ると、俺を見る母さんの目が細められる。
「……あの子のことなら『わかる』のね」
優しい声とまなざしを向けられて、なんだかすごく恥ずかしくなった。俺は母さんから目を背けてから首を振る。
「……うん。あと、きっと慶一も来るよ」
慶一を追加したのは、完全に照れ隠しだった。彼女だけに限定すると、とても『特別』なものに思えるから。
「そうね。あなたたちは昔から、仲がよかったからわかるのね」
けれど、母さんはあえて俺の照れ隠しには触れず、きびすを返す。
「あの人に文句を言われない程度にしなさいね」
そう言って奥に戻っていこうとしたので、俺は思わず声を上げていた。
「……母さん」
「なぁに?」
母さんが足を止め、俺を振り返る。
「……なんで、父さんと結婚したの?」
今、耳にした『あの人』という響きが、彼女に感じるのと同じぐらい『特別』で優しい響きをしていたので、湧き上がった疑問をぶつけてみる。
「そうね……」
母さんはまた頬に手を当てて考え込む。
「……おいしいご飯を作ってあげたかったからかしら?」
「……? 父さんの方が料理、うまいよね?」
父は身内びいきなしで、料理がうまい。三代続いている『荒金』で一番と言われているし、客からも小料理屋で終わるには惜しい腕だとも嘆かれているぐらいだ。
「そうね。でも、そんなあの人が、私の作った料理を『おいしい』って言ってくれるの。嬉しいでしょ?」
「なるほど……」
はにかむ母さんはまるで少女のようで、まず可愛いなという感想が頭に浮かんでから、ノロケられたんだと気づき苦笑いが浮かぶ。
その時、離れた台に置いてある俺のスマホがメッセージの着信を告げる。
目を向けると、ディスプレイには彼女の名前が表示されていた。
「無駄にならなくてよかったわね」
「……うん」
からかうような母さんの声にうなずきながら、頬が緩むのがわかった。今の俺も先ほどの母さんみたいな顔をしているのだろうか。

彼女が店を訪れたのはちょうど仕込んでいた蕪のポタージュができた頃で、今、彼女はカウンター越しにいい笑顔でポタージュを味わってくれていた。
言葉がなくても、その顔が雄弁に幸せと満足を語っていて、俺も釣られて幸せな気持ちになる。
思わず手を止め、彼女の顔に見入っていると店の扉が開いた。
「ばんはー」
慶一は勝手知ったる顔で彼女の隣に腰掛けると、逆隣にカバンを置いて俺を見る。
「腹減った。とりあえず、つまみと酒」
「はいはい。お仕事、お疲れさま」
彼がやってくるのも予想通りだったので、準備しておいた空の碗を取りに行く。
「ああ、もうめちゃくちゃ疲れた。この国のヤツら、安い税金でオレたちのこと、こき使いすぎじゃねぇ? ……ん?」
大きくため息をついてから、慶一は何かに気づいたように、隣の彼女が食べている碗に目を落とした。
「オマエ、なんでポタージュなんて飲んでんだ?」
(わかりきったこと、聞いてるなぁ……)
そんなことを思いながら、慶一の分を碗によそう。
『荒金』に洋風スープがあるというのは当然の疑問だけど、そんな料理を出すのは俺しかいないというのもよく考えればわかる話だ。
しかも、彼女も彼女でおいしいという感想しか言わないものだから――。
「うまいのはわかってるって。芽生の料理がうまくなかったら天変地異の前触れだろうが」
「……自分でたどりつける答えを、わざわざ尋ねなくてもいいだろ?」
慶一の前にポタージュが入った碗を置くと、怪訝そうな顔が今度はこちらを向く。
「いや、だからなんでポタージュなんて作ってんだって疑問なんだけど」
「今日はお前たちがくると思ったし、仕事終わりの疲れた身体を、温かいポタージュで労ろうとした『お兄ちゃん』なりの愛情のつもり」
「……はっ。たかが1ヶ月早く生まれただけで兄貴面かよ」
慶一はしかめた顔をさらに渋くして俺を睨むと、碗を手に取る。
「あんま、勝手なことして親父に勘当されるなよ」
乱暴に碗の蓋をとると、縁に口をつけそのままポタージュをすする。
「あちっ!」
「……ポタージュだからな。熱くなかったら、逆に変だろう」
「そうだけどさ」
むすっとした顔をして、慶一は再び碗に口をつけ、今度はゆっくりとすする。
「……ん。うまい」
「………………」
ぼそっと漏れた心からの感想に、顔が緩みそうになる。
慶一に対して兄さんぶるのは、1ヶ月遅く生まれたことにコンプレックスを持っているらしい彼をからかうためだ。
だが、俺の料理を食べて子どものように純粋に喜んでいる姿を見ると、紛れもない兄心が湧いてくるのを感じる。
俺に兄弟はいないけれど、世間の兄はきっと弟にこんな感情を抱いているのだろうといつも思う。
(そもそも、慶一も俺のこと、喜ばせるのうまいよな。さっきもあっさり俺の料理がうまくないはずないって前提で話、するし)
しかも、父さんとの関係も理解してるから、さりげなく気を遣ってくれている。
彼女とは違う、ありがたい存在だ。
「……じろじろ見んな。突き出しは来たが、酒がまだだぞ」
俺の視線に気づいて、慶一が顔を上げる。むすっとした面持ちと棘のある言葉は照れ隠しだろう。
「はいはい。今すぐ。何がいい?」
芽生の選ぶ酒は、どれもうまいからなんでも。懐具合も知ってるだろ? お任せだ」
(ほーら、また喜ばせるのがうまい)
けど、こっちも慶一の言葉に喜んでるなんて悟られると気恥ずかしいから、肩をすくめておどけてみせる。
そんな俺たちを見て、彼女がクスクスと笑う。
「お前も笑わない」
「オマエも笑うな」
気恥ずかしくなって口にした言葉は、慶一とハモる。
彼女は目を丸くして、さらに肩を揺らし始めた。
「………………」
「………………」
なんだか気恥ずかしくなったのは慶一も同じようで、俺たちは少し頬を赤らめながら視線をさまよわせる。
「ふふっ、相変わらず仲がいいわね」
そこに、声が響いてきたかと思うと、母さんが出てきた。
「おばさん、こんばんは。お邪魔してます」
「はい、こんばんは。ゆっくりしていってね」
「そりゃ、もう。うまい料理で気力も体力も回復させてもらいますよ」
「ふふっ、お店やってて一番嬉しい言葉ね。でも、あの慶一くんが警察官だなんて、まだ信じられないわ」
「……昔のことは、あんまり触れずにいてもらえません? 恥ずかしいんで」
母さんが加わり、昔話に花が咲く。
母さんは俺と慶一がやんちゃしていた頃のこともよーく知っているので、楽しさと同じぐらい居心地の悪さもあって、時々目が泳いでしまう。
そんな時は、同じく視線をさまよわせている慶一と目が合うので、ふたりでこっそり苦笑した。
「そういえば、ちょくちょく顔を見せてくれるのは嬉しいんだけど、恋人との時間はいいの?」
ふと、母さんが妙な方向に話を向けた。
「いないから問題ないですね」
「もったいないわー。モテるでしょう?」
「まあ、そこそこ」
「………………」
慶一の女関係がそこそこというレベルではないことを知っている身としては、いけしゃあしゃあと言ってのける姿を見て、なんとも言えない気持ちになる。
「結婚は? しないの?」
「仕事で忙しくてそんな暇はないですね」
「残念。じゃあ、そこで我関せずとじゅんさいを頬張っているお嬢さんは?」
母さんの話に巻き込まれないように料理に集中していた彼女が今度は標的にあがる。
(可哀想に。母さんって、こういう時、逃してくれないんだよなぁ……)
彼女は、苦笑いを浮かべながら、いい人がいれば……などとお茶を濁す。
「あら、結婚する気はあるの? じゃあ、うちの芽生をもらってやってくれない?」
「ちょっと母さん……」
さすがに調子に乗りすぎだと止めに入るのと同時に、慶一から空になった碗が差し出される。
「おかわり」
「……もうないよ」
「なんでだ?」
「きっかりふたり分しか作ってないから」
「………………」
慶一の顔が不満げに歪む。
「はいはい。ポタージュは終わりだけど、他にうまいもの、たくさん作ってあるから」
準備していた川魚の焼き物を慶一の前に出し、ついでに彼女の分もカウンター越しに置く。
焼き魚に合うお酒も添えると、瞬く間に慶一と彼女は料理とお酒に夢中になってしまった。
「……もう。せっかく話題、振ってあげたのに」
隣から母さんのむくれた声が小さくもれる。
「いいんだよ。……今は、おいしそうなふたりの顔、見てるだけで幸せだから」
俺の言葉に、母さんもふたりを見つめて「まあ……ね」と小さく息をついた。
もちろん、俺もいつまでもこの関係が続くとは思っていない。それに、もしこの関係が変わるなら、自分の手で変えたいとも思う。
(でも、今だけは――)
この穏やかで幸せなひとときに浸りたいと願ってしまう。
もう少し。あと少しだけ――。

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