
まぶた越しに温かな光がチラチラしている。そのうるささに意識が覚醒していく。
「……ん」
重いまぶたを持ち上げると、僕を見下ろしてくる視線と目が合った。
「お? 目、覚めたか」
「…………最悪」
寝起きのかすれた声が本音を漏らす。
「まったく、助けにきてやったってのに失礼なヤツだな」
彼――異母兄である大和はベッドサイドにしゃがんで視線を合わせると、僕の顔を覗き込む。
「頼んでないけど?」
「ま、減らず口をたたけるなら、そこそこ安心か」
彼はニコッと眩しい笑顔で笑って、僕の頭をぐしゃっと撫でる。
(……やけに部屋が眩しいの、コイツがいるからじゃない?)
遮光性を謳うカーテンを使っていて、かつ、今は夜のはずだ。出かける前に電気を消していったから、そもそも照明が点灯している事自体おかしい。
そこまで考えて、家に帰ってきてからの記憶がない事に気づいた。
「……玄関までしか覚えてない。倒れてた?」
「ああ。見事に倒れてたからベッドに運んどいた。今、アイツが温かい粥、作ってる」
「……!」
大和の言葉に弾かれて顔を上げる。彼が視線を巡らせたキッチンには、彼女の後ろ姿が見えた。
「おーい、起きたぞー」
大和の声に応えるように、キッチンから彼女の声が聞こえる。明るくて幸せを感じる声が。
「………………」
眉間に皺が寄るのがわかる。
(ホント、最悪……)
倒れたし、それを見られたし、助けられたし、彼女が大和に対して笑ってる。
いや、顔は見えないけど、笑ってるのはわかる。だって、いつもそれを見せつけられているから。
(……僕には同じ顔、絶対向けてくれないくせに)
うつむく僕の頭を、大和が無神経にぐしゃっと撫でる。
「あんま、心配かけるなよ」
「勝手に心配してるだけじゃん」
「それ、凛太郎には言うなよ? 怒って手がつけられなくなるからな」
「ってか、なんでいるの?」
「アイツが様子を見に行こうって言い出したんだ」
「………………」
眉間の皺が深くなって、頭がズキズキ痛んだ。そうやって気にかけるくせに、目を覚ました僕よりもお粥を作る方が大事らしい。彼女はずっと背を向けたままだ。
「確かにここ最近、顔見てないなって、手軽に食えそうなモン、詰め込んで持ってきたってわけ」
大和は床に置いてあった大きな保冷バックを持ち上げてみせる。その中には大和とか凛太郎とか彼女とかが作ったご飯が入っているんだろう。
「恩着せがましいね。指摘されるまで、僕が来てないって気づいてなかったんだろ」
「悪いな。こっちも忙しいからさ。お前にばかりかまってられねぇんだ」
そう苦笑いをして、大和はもう一度僕の頭をくしゃり。頭と共に僕の心もささくれ立たせていく。
「お前も、せめて最低限の食事は自主的に摂ってくれると助かるんだが」
「……痛い。それ、食べとくから帰って」
「もちろん。やる事もあるし、そろそろ退散するよ」
僕の頭を解放して、大和が立ち上がる。
「でも、食べるのは持ってきたヤツじゃなくて、今、アイツが作ってる粥な」
「食べろってんなら、脂っこいステーキだって詰め込むけど?」
「それは何より。けど、消化以前にせっかく作ってるものをいらないってのは野暮だろ?」
「………………」
と、キッチンの方から人がやってくる気配がした。大和と同時に視線を向けると、お粥を載せたお盆を手に彼女がこっちへと歩いてきていた。
「お、来たぞ。火傷しないようにゆっくり食えよ」
そうにっこり笑って、玄関へときびすを返す大和に彼女が声をかけた。
「ん、帰るわ。お前がいれば大丈夫だろ。ここは任せた。よろしくな」
ひらひらと手を振り、大和は部屋から出ていく。
玄関の扉がバタンと無慈悲な音を響かせて閉まるまで、彼女は大和の背中を見送っていた。
「………………」
彼の気配が完全に消えてから、僕の視線に気づき彼女はようやくベッドサイドへと歩み寄る。
そして、膝を合わせて僕と視線を合わせると、お盆に載ったお粥を差しだした。
食べられそうか聞いてくるので、僕は意識して可愛らしく小首をかしげてみせる。
「食べられそうになかったら、食べさせてくれるの?」
彼女は苦笑して、お盆の上に乗ったスプーンを手に取り、僕へと渡してきた。
「……わかった。自分で食べる」
渋々、スプーンを受け取って、ため息をひとつ。
「でも、ちょっと寒いんだ。温めてくれない?」
僕の言葉に彼女はお盆をサイドテーブルに置いて、枕元に脱ぎ散らかしている上着に手を伸ばした。
「そうじゃなくて――」
僕は彼女の腕を引き、驚く彼女を引き寄せるとぎゅっと抱きしめる。
「人肌で温めてよ。心も寒いんだ」
腕に力を込めると、頭の上から困ったように笑う気配がした。そして、先ほど大和がしたみたいに、僕の頭を撫でる。優しく、子どもに対してするように。
「………………」
その仕草がムカついたので、自主的に身を離した。そして、彼女の目をじっと覗き込み、イライラの八つ当たりをする。
「……ね、寂しい?」
言葉の意図をはかりかねたのか、彼女の目が丸くなる。僕はもう一度、言葉を重ねた。
「だから、寂しい? 大和、帰っちゃったでしょ?」
彼女は大きく息を飲み、パチパチと何回か瞬きをした。それから、なんの事かわからないといったような、バレバレの言い訳をする。
(なんで、誤魔化せると思ってんのかな?)
こっちは『演技』のプロで、演じるだけじゃなくて、誰が何をどう演じてるのかも手に取るようにわかるのに。
(そう、わかる――)
もし、今、抱きついたのが僕じゃなくて大和なら、彼女はぎゅっと抱きしめ返したんだろうって事も。
(ああ、最悪……)
僕は目を閉じ、小さく息をつく。
そういえば、彼女と初めて出会った時も同じように最悪な気持ちを持て余していた。
あの夜は、身体を凍らせるぐらい冷たい雨が降っていた。
でも、僕の心を不快感でいっぱいにしているのは雨でも寒さでもなかった。
(あーあ、みーんな殺してやれたらいいのに)
仕事で関わってるヤツらも。僕の顔を見てきゃあきゃあ騒ぐファンも。立場を利用して、ホテルのカードキーを渡してきた女プロデューサーも。
(……無視したら、面倒くさい事になるんだろうな。けど、行っても面倒な事は同じだし)
だったら、いっそのこと全部ダメにしてしまいたい。
自分ひとりだけ被害をこうむるのはムカつくから、目につく人間みーんな。
(だいたい、たかが面の皮ひとつで魅力がどうとか、世の中の人間は思考がおかしいだろ?)
どんなに綺麗な顔してても、雨に打たれて濡れ鼠になって、気持ち悪く髪の毛が肌にくっついて、服もへばりついて鬱陶しくて、凍えて動きの悪い身体は邪魔くさい。ただそれだけ。肉体の価値なんて、せいぜいそんなもの。
(でも、生まれ持った顔で食べてる僕も僕だ)
握りしめてるカードキーを捨てるって事は、今後仕事をくれなくてもいいですよって、宣言するのと同じ事だ。そして、仕事をする場所を失えば、僕は居場所を失う。
(顔の価値を金にかえて、生きると決めたのに……それって、どうなの?)
雨がだんだんと強くなっていく。
僕はまだ動けない。
カードキーを捨てる事も。カードキーが対応してる部屋に向かう事も。
(業界、入った時、こういう事もあるだろうって覚悟してたのに……)
いざ、直面すると覚悟なんて吹っ飛んで、ただただ気持ち悪くて反吐が出た。
身体を伝う雨粒が体温を奪っていく。
(寒い……。誰か、抱きしめてくれないかな)
でも、その誰かはいない。
僕は誰も愛してこなかった。なら、愛し返してくれる存在なんているはずがない。
(……当然だ)
なのに、何故だろう。雨とは違うあたたかな雫が頬を伝う。
と、肌を打ち付けていた雨が消えた。
「……?」
顔を上げると、雨はちゃんと降っていて、僕の上に傘が差し出されただけだった。
(誰……?)
振り向くと、見知らぬ女性が立っている。
僕のファンだろうか。だとしたら、面倒だ。下手な噂をネットに書き込まれたら、頭が痛む要素が増える。
顔をしかめる僕に、彼女は恐る恐る大丈夫かと尋ねてきた。そのご機嫌伺い見え見えの態度にむかっ腹が立つ。
「大丈夫に見える?」
あまりにもむしゃくしゃするから、もうどうにでもなれと自分を装う事をやめる。
「だとしたら、あんたの頭、空っぽすぎて心配になる」
苛立ちのまま八つ当たりすると、その女性はびっくりしたように目を見開いた。そして、風邪を引くから……と手に持つ傘を押しつけてくる。
「いらない」
ぷいっと顔を背けても、ぐいっと手ごと傘を押しつけて、手に取れと促す。
「いらないって。僕に優しくするなんて、何が目的?」
横目でギラッと睨むと、彼女もキッと険しい目つきで僕をにらみ返した。
放っておけないだけだとそう口を尖らせて、彼女は胸元に押しつけるように傘を持つ手を突き出した。
「わっ!?」
そのまま手を離すので、傘が落ちると思わず手を伸ばして傘の柄を掴む。
それを見て満足したように息をつき、彼女はきびすを返して走り去っていく。傘も差さず。
(……これ、彼女のじゃないの?)
呆然とその背中を見つめていても、彼女はこちらを振り返る事はなかった。
もちろん、見返りを求める事も――。
「……ファンとかそういうのじゃなくて、マジでただのお節介?」
傘の柄にはまだ彼女が持っていた時の熱が残っていて、やけに温かかった。
「……もう」
なんだか、全部馬鹿馬鹿しくなった。
雨も。寒さも。去って行った彼女も。残されたお節介な傘も。ホテルの部屋で待ってるであろう人の事も。すべてに毛を逆立ててた僕自身も。
きょろきょろと辺りを見回し、目当てのものを見つけた。
僕はそれ――ゴミ箱の前まで歩み寄る。
「クソくらえ」
そう吐き捨てて、握っていたカードキーを投げ入れた。
「………………」
目を開けると、彼女が僕を見ていた。あの日、傘を渡してきたのと同じお節介な親切心で。
(ありがたいんだろうけど……僕の欲しい気持ちじゃない)
あの雨の日から、僕は彼女の温もりが欲しくてたまらなかった。
(僕が抱きしめてほしいと思うのは君だけなんだよ)
でも、君が抱きしめたいと思うのは僕じゃない。
彼女は僕に冷める前にどうぞと、お粥を勧めてくる。
「……うん、そうだね」
僕はスプーンを握り直すと、彼女の差し出してきたお粥を掬って口に運ぶ。
ありとあらゆる手を使って、彼女を捜し当て、今、僕はここにいる。
彼女が腹違いの兄の店で働いていたのは、幸だったのか不幸だったのか。
(でも、彼女の心に住んでるのが腹違いの兄ってのは不幸なのかな)
もっとも、諦めるつもりはないけど。
僕の心を奪うだけ奪っておいて、他の男を見つめるなんて許さない。
(君の想いと僕の想い、どっちが勝つか見物だね)
小さく笑って、お粥を一口、口の中に流し込む。
(ああ、なんて、愛おしくて、憎らしい……)
お粥が流し込まれたお腹の中から、温かさと狂おしい熱が身体中に広がっていく――そんな気がした。