Stellar Calendar

ワンマンライブも近いとある日曜日。
オレは、予約を入れていたスタジオに入り、ドアを開ける。
途端、張り詰めた空気がオレを包み込んだ。
「……っ」
踏み入れようとした足が、一瞬、止まる。
『覚悟』を問われるかのようなその緊張に身を強ばらせていると、肩をぽんと叩かれた。
「……!」
強ばっていた身体から力が抜ける。振り向くとそこには彼女がいて、おはようとお決まりの挨拶をしてきた。
「お、おう。おはよう」
入らないのかと尋ねられたので、オレは慌ててスタジオに足を踏み入れた。
「入るに決まってるだろ」
一歩中にさえ入ってしまえば、感じた緊張感はいつもの高揚感に変わる。
この空気に慣れているのはオレだけではないらしく、彼女も懐かしいなんてスタジオを見回しながら目を細める。
「なあ、オマエは、もう音楽に関わらないのか?」
ドラムセットに持ってきたギターを立てかけて、オレの横を通り過ぎる彼女の背中に浮かんだ疑問を投げる。
すると、テーブルに持ってきたケータリングを並べながら、彼女からちょうど関わっている最中だという返事がかえってきた。
「いや、そうじゃなくて、オレたち以外でってこと。サークルやってた時から、オマエのサポート、助かってたし、他のバンドからも羨ましがられてたぞ?」
おべっかでもなんでもなく、対バンの度によく彼女の話題が出た。
もっとも、サポートの腕前ならもっと能力のあるヤツもいるだろう。
(でも、そういうのじゃなくて……そう、笑顔だ)
こっちが、心が折れそうになってても、大丈夫だと笑ってくれる顔が頼もしかった。
オレたちの音楽に耳を傾けてくれて、すごいねと笑ってくれるのが嬉しかった。
もちろん、時には厳しい意見も口にして。
それで「このやろう」と曲書き換えたり、歌詞作ったりしたら、最高だと笑ってくれて。
そういう応援があったから、大学時代は本当に楽しくて、オレは抜け出せないぐらい音楽にハマっていったんだ。
テーブルにケータリングを並べていく背中に近づくと、彼女からオレたちが思っているよりも『音楽』に興味があるわけじゃない……みたいな言葉が飛んでくる。
「どういうことだよ?」
思わず鼻に皺が寄る。ずっと一緒に戦っている仲間だと思っていたのはオレたちだけだったんだろうか。
むすっと口を尖らせながら、隣に立って彼女を見下ろすと、あらかたケータリングを並べ終えた彼女がオレを見上げる。そして、ニコッと笑った。
ただの『音楽』じゃなくて、『オレたちの音楽』が好きだった――と。
「……!」
顔が熱くなるのがわかった。
すぐには冷静を装えない気がして、オレは赤くなっているであろう顔を背ける。
「……ああそう。それは、どうも」
心臓がバクバクする。
なんとか落ち着けたいのに、今見た笑顔が頭ん中にこびりついて、離れない。
(今も、その顔でオレを見てるんだろうか?)
確かめたいのに、直にその微笑みを見たら、今度こそ頭も心臓もおかしくなる自信がある。
でも、急に顔を背けたオレを不審に思っていたらどうしよう――そんな不安もあって、オレはオレ自身を持て余す。
「はよー」
「おはよう」
と、入り口から声が聞こえた。
振り返ると、が開けっぱなしだったドアからスタジオに入ってくる。
「ドア、閉じないと苦情来るよ?」
「……まだ、音、出してないから大丈夫だろ」
「お腹、空いたんだけど、ケータリング、届いてる?」
スタジオの中が一気に賑やかになる。
朝食がまだだったらしいはテーブルの上のサンドイッチにかぶりつき、珈琲を紙コップに注いでいると、アレンジを変えたいだの、テクニック的に厳しいかも……なんて話をしている。
(スタジオってよりも、出張カフェに来た感じだな)
せっかくのスタジオ練習なのに、音を出すより食い気かよ……と呆れつつも、おいしそうに食べているので、オレも気になっていたポテトサラダが挟んであるサンドイッチをひとつつまんで食べてみる。
「……うまい」
絶妙に塩胡椒が利いていて、しかも隠し味にチーズが入ってる。
好きかも……と食べ進めていると、彼女が隣で嬉しそうにオレを見つめた。
気に入ってもらえて良かった――と。
「……? どういうことだ?」
尋ねつつも、なんとなく返ってくる答えは予想できていた。
彼女は、目を細めながら、オレが好きだろうと思って作ってみたと教えてくれる。
「あ……そ。確かに、オレ好みかも」
昔から、彼女はオレのことをよく見ている。本人よりも、オレのことを知ってるんじゃないかって思うぐらい。
だから、オレは、ちょっと過剰な期待をして、そんな自分を落ち着けとなだめている。
はい――と、いい具合に欲しかった珈琲も紙コップに入れて渡されたので、頬が熱くなるのを自覚しつつ受け取る。
「……ありがと」
湯気がほかほか立ち上っていたので、ゆっくり、ゆっくりと口の中に熱を広げて、じんわりと染みこむ苦みを楽しむ。
(少しぐらい突っ走っても……いいんだろうか?)
せっかくの夏なのだから。
命を賭けて、恋を歌うセミのように。
ゴクンと珈琲を飲み込んで、オレは口を開いた。
「……そういや、そろそろ夏祭りか」
ごく自然な感じを出せているよう祈りながら、そう切り出す。
ただ、彼女の顔は確認できなかったので、珈琲に集中するフリをして、視線は虚空に投げかける。
心臓はドクドクと脈打っていて、BPMで言うなら120ぐらい。緊張もカラダ中の血の巡りもかなりヤバい。
そんなオレをどんな目で見ているのか、彼女からはそうだねと、いつも通りのトーンで言葉が返ってくる。今年もちゃんと予定を開けている……と、オレが知りたかった情報を付け加えながら。
「……マジ? 今の時期って、仕事、忙しいんだろ?」
思わず振り向くと、オレの視線を受け止め、彼女はうなずいた。
繁忙期ではあるけれど、前もって店長に断りを入れている……と。
ちゃんとバイトや店長の弟やらの予定を抑えてもらったから、今年も行けると嬉しそうに笑った。
「そっか……。じゃあ、オレもしっかり予定、空けておかないとな」
オレは壁に掛かっているカレンダーに目を向け、夏祭りの日を確認する。
毎年、この時期に行われる夏祭りに、オレたちは大学の頃から顔を出していた。
みんなでわいわいはしゃいで、特別感を楽しんで。
卒業してからも、忙しさに翻弄されつつもなんとかみんなで集まっている。
年々予定を合わせるのが厳しくなってる空気を感じているから、いつまで続くかわからない。
(……そう、今年が最後のチャンスかもしれないんだ)
そう意識して珈琲をもう一口、ゴクリと飲み込む。
と、背中からオレを急かす声が響いてくる。
振り向くと、いつの間にか飲み食いを終えたがスタンバイを終えていて、オレにも早く来いと促していた。
「……ったく、勝手なヤツら」
でも、悪くない。
苦笑いを浮かべる口にサンドイッチを放り込み、珈琲で流し込む。
彼女から、思いっきり楽しんできてと声がかかった。
「おう、そっちも最高に楽しませてやる」
そう、宣言して、ふたりの元へと向かう。

さあ、思い切りやかましく音を奏でて恋を歌おう。
夏を生き急ぐセミたちのように。

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