くあり、とあくびをする。
小学校の頃からの長年の疑問だが、どうして校長・学長の話というのは長いのだろうか? たまに突然変異のように一瞬で終わる人もいたが、大抵は長い人ばかりだ。隣で涼しい顔をしている幼馴染はあくびの一つもしなかったが、本音を聞けば「長かったなあ」と笑うに違いない。

「眠そうだなあ」
会場である体育館を出て、また大きなあくびをもらしていたら、隣の穂高がおかしそうに笑ったのが聞こえた。
「入学式も寝るんじゃないかってちょっとヒヤヒヤしたよ。知ってた? あれ録画されてるんだって」
「だから?」
「寝てるところ、カメラにバッチリ撮られてたら恥ずかしいね? ってこと」
「別に気にしない」
「お兄さんたちに笑われても?」
「……それはちょっとやだ」
「だろ〜? そうしたら拗ねるのお前なんだからさ」
「けど、……ふあ……、ねみーもんはねみー」
「昨日寝るの遅かったの?」
「そんなことはねーけど、兄貴が大騒ぎして帰って行ったから、片付けるのに疲れた」
「はは、流石日立家。弟が可愛くて仕方がないらしいなあ」
「オレよりよっぽど可愛がられてるくせによくいう」
「嫉妬しちゃった?」
「バカ?」
「冗談だって。冷たい顔で見ないでくださーい」
こいつはすぐにこういう意味のない冗談を吐く。処世術なのかもしれないが、単純にうざい。
「あ、清澄ー、先に行くなって」
「変な冗談言うおまえが悪い」
適当に校内をぶらつく。オレたちと反対方向に歩くのは、きっと他の学部生だろう。総合大学ということもあって、一度に会場に入れる人数が制限されているらしい。じゃあ、あの学長は毎度同じ話を同じ時間だけ続けるのだろうか? と至極どうでもいいことを考えた。
「ふあ……」
「ほんっと眠そう」
「実際ねみー」
「うーん、今日は帰る? 明日からガイダンス始まるし、今日回りきらなくてもさ」
「んー、そーさせて。……帰って寝る」
「それがいいよ。ガイダンス聞き逃して、大事なこと聞き逃したら大変だもんな」
「そんなヘマはしねーけど」
「まあ、お前はそういうところ真面目だからね。心配はしてないけど。……えーっと、駅に近い門は……っと」
穂高が校内図を探してきょろきょろしていたところ。
「あの!」と後ろから声をかけられる。
「なに」
振り返れば見知らぬ女子がいた。視線はオレ……ではなく、穂高の方に向けられている。
「あ、俺?」
「穂高に? なに。オレたち帰るところなんだけど」
「それはとっても申し訳ないんですが……!」
女子は素直にぺこりと頭を下げたが引くつもりはないらしい。
これだけでどちらかと言えば、オレではなく穂高よりのタイプと見た。
そして穂高は何もしなくてもこういうタイプを引き寄せるのか、と無駄に感心した。
「えっと、紫藤くん……、だよね? 突然ごめんね。見つけちゃったからつい」
これは「会ったことあるよね?」からのナンパなのだろうか。
男で使ってるのは聞いたことあるけど、女子でも使う場合があるのか。
なんてことを考えていたら、横の穂高は思案顔の後、手を軽く叩いた。
「ああ、もしかして、入試の時の?」
目の前の女子は見るからに表情を明るくした。『嬉しい』という感情を全面に出す。笑ってしまいそうになるくらい素直で、……表情がうるさいと思った。
「そう! 入試の時に消しゴムを貸してもらった者です。その節は本当にお世話に……!」
「いえいえ、ここにいるってことは消しゴム貸したかいがあったってことだしな? 力になれたようでよかったよ」
話からすると、穂高は入試の時にこいつに消しゴムを貸したらしい。その時のお礼がしたくて声をかけたってことで……?
「え。よりにもよって入試で消しゴム忘れるとか、バカ?」
思わず突っ込んでしまったオレに、穂高が「お前ね」と呆れた声を出す。
「忘れ物は誰だってやることだろ〜? ミスなんて自分にも起こることなんだからそういうこと言わない」
「確認しない?」
「人生の一大イベントに、いつも通りにできる人が何人いるのか、って話だよ。俺だって水筒忘れていったよ」
「水筒と消しゴムは違うじゃん。というか、監督者に言えばよくねー? なんで穂高に言うわけ?」
「俺が勝手に声掛けただけだよ。ああ、もう、ごめんね。こいつかなり口が悪いというか……。ぜんっぜん悪い奴じゃないんだけど」
すっと穂高がオレの前に立って、女子からオレを隠す。
そこまでされて、ようやく気づいた。
いつも通りのパターンだ。オレが言いすぎている。それを穂高にフォローされている。
オレは思ったことをそのまま言っただけだし、間違っているつもりはない。入試で忘れ物とか致命的だし、穂高だって余裕がなかったら、こいつは更に余裕がなくなって落ちていた可能性だってある。
とは言え、初対面の奴にぶつける言葉ではなかったのかもしれない。それは流石に分かる。
「あー……えーっと……」
過去の嫌な記憶が蘇る。何回これで女子を泣かせてきたんだ。大学初日でこれはお互い嫌すぎるだろう。
なんとかフォローしようと試みるが、正直間違ったことを言っているつもりはないから、形ばかりの謝罪なのもなんか嫌だ。
……と思っていると、笑い声が聞こえ、女子を見る。
穂高も意外そうに目を丸くしていた。
「あはは、そうだよねえ。私もそう思う! 入試なんて大事な時なんだから、三回くらい確認しなきゃだよね。もうしないように気をつけるね」
「え、あ、……うん、そーしたら?」
呆気に取られて、ついバカみたいな反応をしてしまった。
そんなオレに気づかないのか、こいつはオレとの距離を詰める。
「……ちなみに忘れ物をしない秘訣とかあったりする……? 確認する以外で」
「えー……、リスト作るとか? 忘れちゃいけねーものとかは、玄関に貼ったりするけど」
「なるほどー! 頭いいね」
「別に……」
「今度からそうしようかな。ありがとう」
おべっかとか、社交辞令とか、そういうのじゃなくて、本当にこいつは「次回からそうする」んだろうな、というのが何故だか分かった。
戸惑っているオレを穂高がどこか面白そうに見ている。
「あ、ごめんね。名前も聞かずにお話ししてた……。聞いてもいいかな?」
「……日立清澄」
「日立くんだね。よろしくね。授業とか一緒だといいなー」
「初日から友達増えてよかったな?」
「……うるさい、穂高」
「うんうん、私も二人に会えてよかったー! ふふ、明日から楽しみだなあ」
「能天気……」
「こういうところが強みなんだー」
「それで消しゴム忘れてちゃ世話ない」
「それは反省してるってことで、ね? 次回からやらないからいいの!」
明るくて、人の言葉をまっすぐに受け止めて、全くへこたれない。
今までの交友関係で、一度も関わったことのないタイプの奴だ。
「……変な奴に捕まった……」
「あはは、日立くん面白いね」
「いや、おまえの方が相当でしょ……」
「そんなことないと思うけどなあ」
「自覚ないのヤバい」
「うーん、お互い様ってことで?」
「そんな嫌すぎるお互い様ある?」
これがオレとこいつとの出会い。
どうせこれっきりで、大勢の大学生がいるこの場所でもう一度会うなんてないと思っていたのに。
——穂高を介したこの出会いが、まさかずっと続いていくなんて、想像すらしていなかったのだ。