Special

Happy Birthday 水瀬 蒼士

特に変わりなく、いつものように一日絵を描いて終わった。予定が空いたので、バイトでも入れようかと思って帰りがてらスマホでメッセージアプリをチェックしてると、突然、背後から襲撃を受ける。
「そーうしっ!」
「……っ!」
 いきなり後ろから抱きつかれ、反射的に振り払えばケラケラとした笑い声が聞こえる。
「ひっでー、そんな全力で振り払わなくても」
「黙れ。殴らなかっただけマシだと思え」
「そうだぞ、縁。蒼士は照れ屋だから、いきなり抱きついたら驚くだろ」
「あー! そっか、恥ずかしかったのか! ごめんな、蒼士!」
「…………」
 いつものように絡んできた縁と絃静の二人に、俺は思わず頭を抱えたくなる。常々思うが、こいつらは何が面白くて俺に絡んでくるんだろうか。
「……何か用か?」
 俺がそう尋ねれば、絃静はようやく本題を思い出したかのように話を切り出してくる。
「あのさ、蒼士。これから予定ある?」
「先に予定入ってるならいいんだけどさ。オンナとの予定があるなら優先させてくれ」
「……何で俺が女との予定がある前提になっているんだ」
 特に予定はないと伝えれば、二人は顔を見合わせたあと、揃って気持ち悪い笑顔を見せた。
「よーし、そうと決まれば!」
「一名様ご案内!」
 逃げられないように二人から両腕を掴まれ、俺は引き摺られるように連行される。もう一度振り払おうとしたが、先程のこともあってか思った以上に力強く捕まれて上手くいかない。
 スマホには新しいメッセージが入っていたが、これ以上二人に抵抗しても更に面倒なことになるだろう。あとで断りの返信を入れておこう思いつつ、俺は二人に挟まれながら大きくため息をついた。


 二人に連れてこられたのは、駅の近くにあるそれなりに雰囲気のいいバーだった。縁の行きつけの店なのだろう。先程から、縁がやけに派手な髪色の若いバーテンダーと親しげに話している辺り、そうなのだとと察した。
 縁がバーテンダーと話しているうちに、絃静が三人の分の注文を済ませ、カウンターに三つのグラスが並ぶ。俺の前の前に置かれたグラスには、透き通った青い液体が注がれていた。
「ブルーラグーンっていうカクテルだよ。綺麗な色だし、初めてでも飲みやすいと思う」
 何でもいいと答えた俺の代わりに注文してくれた絃静が、隣からそう教えてくれる。普段からそんなに酒を飲む方ではないのだが、このカクテルの色は確かに綺麗だと思った。
「よーし、じゃあ揃ったことだし、始めるか!」
「だな。じゃあ、乾杯からな」
 勝手に盛り上がっている二人を横目で見つつ、俺もグラスを持ち上げた。

「蒼士、誕生日おめでとう!」

 二人のかけ声とともにグラス同士がぶつかる音が響く。だが、俺はそんな二人に対して「は?」という気の抜けた声しか出せなかった。

「……これ、もしかして俺の誕生日祝いだったのか?」
 ようやく自分の誕生日を思い出し、驚きつつ尋ねる。すると、二人は俺よりも驚いた顔をしていた。
「え、まさか蒼士……自分の誕生日忘れてたのか?」
「いい年して、自分の誕生日を楽しみにしているわけがないだろ。普通、忘れる」
 絃静の言葉に俺がそう答えれば、反対側から縁がニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「俺たちはちゃーんと蒼士の誕生日、覚えてたぜー? オンナは誕生日や記念日を覚えてると喜ぶからな」
 縁の甘ったるい声に、俺はどこか釈然としない気持ちになる。何でそこで女の話題が出てくるんだ。
「……一緒にするな」
「でも、嬉しいだろ?」
「……別に」
 絡んでくる縁を振り払うように、俺はグラスの中の酒を煽る。初めて飲む酒だったが、絃静が言っていたように、確かに爽やかで飲みやすい。
「こーら、縁。主役の機嫌を損ねてどうするんだよ」
「悪い悪い。ほら、蒼士もさ。そんなに拗ねるなってー、誕生日プレゼントもちゃんと用意してあるからさ」
 そう言いながら、縁はカバンの中から小さな包みを取り出す。それを受け取って、「開けてみろよ」という勧めのまま、封を開けた。
 中に入っていたのは、固形墨といくつかの岩絵具だった。どちらも俺が愛用しているブランドのものだが、その中でもかなり上質のものだ。
「蒼士が今使ってる墨、随分小さくなってただろ? それ俺も今の絵で使ってるけど、結構いいと思う。岩絵具は、絃静からな」
「この間、配色に悩んでたみたいだからさ。蒼士の絵に合いそうな色を選んでみたんだ。使えそうなら、使ってみて」
 洒落た店内には似つかわしくない無骨な画材が、カウンターに並ぶ。がだ、下手に酒だのアクセサリーだのを送られるよりは、こういった実用的なものを送られる方が俺にとってはありがたい。それに、普段は鬱陶しい絡み方しかしてこないくせに、俺が欲しいものに気づいていたあたり、二人のことをほんの少し見直した。
「……ありがとう。どちらも、次の絵に使わせて貰う」
 素直に感謝の言葉を口にすれば、一瞬辺りが静かになる。見れば、縁も絃静も目を丸くしてこちらを見ていた。
「蒼士がデレた!」
「やべえ、すげえレアじゃん! 録音しておけば良かった!」
 人が見直した途端、またうるさく騒ぎ始めた二人に、俺は頭が痛くなる。やっぱり、俺の思い過ごしかもしれない、そう思いながら俺はグラスの中の酒をもう一度口にした。


「――そうそう、もう一つプレゼントあったんだよ! なー、絃静?」
 この店に入ってから、随分たった頃。すっかり出来上がってしまった縁が不意にそんなことを言い出す。絃静も、相当酔っ払いながらも「あー、あれな」と何度も頷いている。どうせ、ろくでもないことなんだろうと、視線を合わせないようにしていると、両側から何か生暖かいものが触れた。
「……!?」
「おめでとーのチュ~」
「いえーい、だいせいこー!」
 呂律の回ってない口調で、へらへらとしている二人に対して、俺はどうしようもない呆れと強い嫌悪を同時に感じた。
「……帰る」
 荷物を乱暴に掴むと、俺はさっさと席を立つ。
「わー、待て待て!」
「悪かったって、冗談だからー!」
「……うるさい、さっさと離せ。これ以上付き合ってられるか」
 俺の服を掴んで必死に引き留めようとする縁と絃静に、思わず眉間の皺が寄るのを感じた。生まれてきてから、今まで、こんなにも散々で騒がしい誕生日があっただろうか。そんなことを思いながら、俺はもう一度盛大なため息をついた。

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